大人は子ども達に説明責任がある、が持論です。
子どもたちは学校や習い事、家庭で理不尽な命令や指示があった場合、
それが理不尽であることを敏感に感じ取り、
ストレスを抱えたり、場合によっては反抗的な態度を(とりたくなくとも)とってしまうことがあります。
「~しなさい」には「なぜしないといけないのか」「しなければどうなるか」など
がセットでなければいけません。成長段階の子どもたちには大人が逐一丁寧に説明してあげるのが理想ですし、
子ども達がもった「なぜ?」の疑問に一応の答えを大人側が持ち合わせていることが理想です。
塾講師をしていると必ず出会うシーンがあります。
「先生、こんなの将来役に立つの?」
「ぜったい、こんなの大人になってから使わないじゃーん」
などの言葉です。
多くの場合、子ども達は本気で言っているわけではなく、
勉強に行きづまった時、こなしきれない量の課題を抱え途方に暮れた時、
「もうやだ。なんで勉強なんかしなくちゃいけないの。。」
と嘆息をもらさざるをえない、といった感じでしょう。
こんな時、「いいからやりなさい!」はだめですよね。
大人は子ども達が納得できる一応の答えを持ち合わせているべきです。
それがたとえ正解ではなくとも(正解がない、解がひとつではない場合もあるので)、
「おとな」が真剣に子どもたちに語りかける、その姿勢をみせることが大切だと思っています。
年齢、学年にもよりますが、塾生から質問されたとき、私は次のように答えています。
「歴史を学ぶことによって未来を予測することができるからです。戦争はしてはいけないものだと思いますよね?それは過去の歴史で戦争がどれだけ悲惨なものかを私達が知っているからです。だからこそこれからの未来、戦争が起きないよう、起こさないよう努力しよう、となるわけです。これは歴史を学んだからこそです。」
「算数は使うけど、数学とか理科とか勉強する意味あるの?」
「私達が現在、豊かで便利な暮らしをすることができているのは、先人の文明の賜物です。高度な数学や化学、物理などのおかげです。義務教育で様々な基礎にふれることで、さらなる文明がつくる新たな人材があらわれるきっかけになります。それはあなたかもしれないし、となりの席の人かもしれない。可能性を発掘するには学んでみる以外方法はないのです。
文明を放棄して原始時代の暮らしを味わいたいのならばそうすればよいでしょう。私はそうではないので、自分も「学びたい」し、多くの人に「学んでほしい」と思っています。」
「なぜ勉強しなければいけないの?」
この問いに対しては、子どもの年齢やその時の質問者の心の状況に応じて、答えは変えています。例えば受験生、これから頑張って学んでいかなければならない世代であれば、すこしキツめに言うこともあります。
「私達は毎日ご飯を食べますよね。それはなぜでしょう。答えは簡単です。それは食べないと死んじゃうからです。
勉強も同じです。必要ないと思うのならしなくていいと思います。でもね、しないとどうなりますか?そこまで想像していないのですか?
想像して、その結果勉強しなくても問題ない、と思えるのならばそれでいいと思います。
君たちは将来、何らかの仕事について、お金をもらい、生計をたてていくでしょう。仕事をしてお金をもらうということは、誰かの役に立っているということです。
逆に言えば、役に立つ人でなければお金はもらえないのです。
今、机上にある問題は今の君たちにとって難しく感じるかもしれない。勉強なんかしたくない、って気持ちになるのもわかります。
でもね、労力を惜しまずに反復練習さえすればこの程度の問題は誰でもできるようになるんです。絶対そうです。
この程度の問題ができなくて、将来、人の役に立つ人間になれると思いますか?
頑張りましょうよ!」
これらは私なりの解答なので、決して正解ではありません。大切なのは、子ども達に問われたときに子ども達が納得できる一応の答えを持ち合わせていることです。
「なぜ勉強しなければいけないの?」
皆さんならどう答えますか?