GWのさなかの5月3日の水曜日、いつもの散歩コースの海岸にそれは打ち上げられた。
ふだんは地元の人間とサーファー、釣り人、漁業関係者がわずかに使う、
県道から築港への抜け道。そこの防波堤の向こう側、砂浜海岸にそれは打ちあげられた。
話を聞くと、早朝にサーファーさん達が見つけたときにはもう弱ってはいたものの、
まだわずかに動いていた、生きていたという。
彼ら数人で海へ押し戻そうとしたけど、少しも動かすことはできなかった、とのこと。
その後、連絡を受けた水族館の方などが来て、それは、息絶えたことが確認された、と聞いた。
https://www.minpo.jp/news/moredetail/20230504106912
砂浜に下りて近づくのは躊躇われたので、少しはなれた防潮堤から砂浜を覗き込むと、
距離があってもその形からマッコウのそれであるとわかる。
それが、波打ち際に横たわっている。
半分は水につかり、波は引いては押し、の一定のリズムで繰り返し弱くぶつかっていた。
10メートル近くはあるだろうか。離れていても、質量は感じる。
ものの、確かに命は感じない。
いっしょにいた次男は初めて見た大型海洋生物に思わず声を上げたが、
「はしゃぐな。死んじゃってるんだ。かわいそうに、だ。」と小さく制止した。
数メートル近くまで近づいている家族が見えた。
こどもはそれに向かって、石か貝殻を投げていた。
「生きていたらな、よかったんだけれどな。もう帰るか。」
なんだか居たたまれなくなって、その場から離れることにした。
それはその日のうちにヤフーニュースになり、
夕方のテレビでは県内ニュースにもなった。
「いわき市でクジラが打ち上げられました」
翌日にはそれは新聞の記事になった。
いくつかのニュースでは「病気などで亡くなった可能性があるため、触れたりしないように」と注意喚起がされていた。
ほどなくそれは、近くの砂浜を掘って埋められることが決まった。
一般的には、海か土に還すことが多いという。
学術利用や標本保存などにするのは、多くの手間と費用がかかることもわかった。
時間がたてば経つほど、処分は難しくなるものらしい。
大きさが大きさ、場所が場所だけに移動させるのは難しいことを考えると、
今回のように、研究機関用に検体サンプルを採取後、できるだけ早く、近くに埋葬するのがのがベターだと理解した。
そこから4日ほど、ふだんはひとけのない抜け道には、
家族連れ、カップル、スーツ姿の記者か会社員か学者風、テレビ局のクルーなどなど、
たくさんの人が入れ替わり立ち替わり訪れた。
10年以上、ほぼ毎日この道を通っているが、この場所にクジラが打ちあがるのも、
ちょっとしたお祭りのような騒ぎになるのも、はじめての経験だった。
防潮堤の階段を登り、砂浜のほうを見下ろす人たち。
どういう気持ちで見に来て、どういう気持ちになって帰っていったのか、
少しだけ気になったが、勿論知るすべはなかったし、まあ、どうでも良かった。
埋葬のための重機が砂浜に入るころには、路上駐車で車が列をなしていたそこも、
いつもの、もとの静かな抜け道に戻っていた。
唯一いつもと違ったのは、防潮堤下の風景ぐらいだった。人が集まるとこうなる、仕方がない。
東日本大震災、その後の数年を思い出した。
一連の流れが、少し似ていたからなのかもしれない。
でもだいぶ違うかもしれない、と思った。
昨日テレビでは車で移動するゼレンスキー大統領の映像が流れていた。
沿道に並ぶほとんどの人たちは
スマホを頭より高く掲げてシャッターを切っているように見えた。
テレビのインタビューを受けた在日ウクライナ人の方たちは、それぞれウクライナ国旗を掲げていた。
その映像で数週間前のクジラを思い出して、今ブログを書いている。
少し似ていたからなのかもしれない。でもだいぶ違うかもしれないとも思った。
クジラ、生きていたら、よかったんだけれどな。