主なポイント
インドとパキスタンの分離独立の歴史と背景について議論
カシミール地方の帰属をめぐる紛争の継続的な問題
ヒンドゥー至上主義とインド・パキスタン関係への影響
国名変更の理由(他称から自称への変更)について説明
イギリス連邦内での独立国の位置づけについて議論
議論されたトピック
インドの独立とパキスタンとの分離
インド独立の経緯と、ヒンドゥー教徒とムスリムの対立によるインドとパキスタンの分離独立について議論された。
詳細
M: インド連邦とパキスタンの独立について、イギリス連邦内の自治領としての独立だったことと、インド連邦とムスリム国家のパキスタンが分離独立したことが重要な点
K: 東パキスタンが独立してバングラデシュになった経緯について説明
K: ガンディーの暗殺について、ヒンドゥー至上主義者の青年によって1948年に暗殺されたことを説明
M: 独立インドの非同盟政策について説明
結論
1947年にインド独立法が制定され、インドとパキスタンに分離独立
1950年に憲法が施行されてインド共和国となったが、イギリス連邦内には留まった
独立後も両国間にはカシミール地方の帰属をめぐる紛争が続いている
カシミール地方の紛争
カシミール地方の帰属をめぐるインドとパキスタンの対立について詳しく議論された。
詳細
K: カシミール地方の住民の多数派はムスリムなのに支配者(藩王)がヒンドゥー教徒である理由について質問
うえまつ先生: カシミール地方は山岳地帯で、地方の支配者は伝統的にヒンドゥー教徒が多かったが、周辺のイスラム教地域の影響で住民の多くはムスリムになった経緯を説明
M: 現在のカシミール地方の状況について質問
うえまつ先生: 現在はインド、パキスタン、中国がそれぞれ一部を支配している状況を説明
結論
カシミール地方は現在もインド、パキスタン、中国の三カ国が分割支配している
中国の支配地域は1963年にパキスタンから割譲されたもの
現在も散発的な軍事衝突が続いている地域である
ヒンドゥー至上主義
ヒンドゥー至上主義の歴史的背景と現代インド政治への影響について議論された。
詳細
I: ヒンドゥー至上主義者とは何か、現在のインド政治との関連について質問
うえまつ先生: ヒンドゥー教を中心にインド社会を統一しようとする運動で、現在のモディ首相の与党インド人民党もこの思想を持つと説明
のぶた先生: インド人民党について補足
結論
ヒンドゥー至上主義はイスラム教やイギリス支配への反発から生まれた
ガンディーはヒンドゥー教徒とムスリムの融和を目指したが、過激なヒンドゥー至上主義者に暗殺された
現在のモディ政権もヒンドゥー至上主義的な政策を推進している
国名の変更理由
国の名前が変わる理由について議論された。
詳細
M: ビルマがミャンマーに、セイロンがスリランカに変わった理由について質問
うえまつ先生: 基本的に他称から自称への変更であると説明。外国人が呼んでいた名前から、自国民が使う名前に変更する動きがナショナリズムの高まりと共に起こると説明
のぶた先生: オランダ(ネーデルランド)や日本という国名も他称であることを補足
結論
国名変更は主に他称から自称への変更であることが多い
ナショナリズムの高まりと共に自国の呼び名を主張する動きが起こる
日本も元々は大陸から見た「日の本(東の方)」という他称だったという説もある
インドの独立と英連邦
インドが独立しながらもイギリス連邦に留まった理由について議論された。
詳細
T: なぜインドは共和国になったのに英連邦に留まったのかについて質問
うえまつ先生: 政治的独立は達成したいが、経済的な関係は維持したいという計算があったと説明
のぶた先生: 英連邦の意味と役割について質問
結論
インドは1950年に共和国となったが、経済的利益のために英連邦には留まった
感情的には完全独立を望みながらも、実利的な判断で英連邦との関係を維持した
現在も多くの旧イギリス植民地が英連邦に所属している
アクションアイテム
うえまつ先生
次回はトルコ革命について講義を行う
のぶた先生
次回の日本史(鎌倉時代の執権政治)の準備をする





