AIにはできないであろう

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対話型AIが話題になっています。

私もChat GPTやGoogle Bard を試してみました。

テレビなどで実演されているように

小説アイデアや歌の歌詞などを考えてもらったり、

簡易的なプログラミングをつくってもらったりすることはAIの進化を感じられ(著作権の問題はありますが)

非常に興味深く、楽しいものです。

 

ただ、「〇〇について教えて」のような質問には

あきらかに事実と異なる内容が含まれていながら、あたかも事実のように回答されてしまう場合が多々あるため、

現段階では作成された回答の真偽を「ヒト」が見極めなければなりませんね。

逆に言えば、全く予備知識のない物事に関してAIから得られた回答を鵜吞みにしてしまうと

間違った知識が構築されていってしまうため危険だな、といった感想を持ちました。

 

教育界でも、ここ最近はAIブームでして、

「AIが学習を〇〇!」

「AIで学習が〇〇!」

という文言を頻繁に見聞きします。

AIを主語にしたり、AIを冠詞に用いれば、「なんかよくわからない万能感」がでるんですよね。

 

ただ、AI(artificial intelligence)にも特化型と汎用型、強と弱、ルールベース、機械学習や深層学習などいくつかの

レベルや分類に分けることができます。

「AIがすべてやってくれます」なんて文言に踊らされず、使う側もしっかり「どういった場面で」「どう使うか、使えるか

見極めていきたいものです。便利なツールは積極的に使うべきですが、使い方。

上手に使う、ですね。

 

また、AIが「ものの数秒で正しい適切な答えを導き出せる」

としても、

「ものの数秒で正しい適切な答えを導きださない」

ことが最適である場面もあるような気がします。

そういうコミュニケーションが必要な場合もあるのではないか、ということです。

 

私の教え方のテクニックのひとつなのですが、

わざと「悩んでいるようにみせる」「悩んでいる姿をみせる」というのがあります。

おもに、受験生に、賢く成長してもらいたい時に使用します。

たとえばA君が「先生、この数学の問題全然解けない、わからないです」

と質問してきたときに、

こちらはプロですから、ざっと問題をみれば、ほとんどの場合は

「あ、あの解き方を使うんだろうな」とすぐに推測できます。

ですので、ただ解くだけ、答えを出すだけなら即可能なのですが、

私はあえて「うーん、これは。。。」と悩んでいるようにみせることがあります。

 

なぜなら、が秒ですらすら、ズバズバ解いてしまうと、

A君は自分が悩んでいた問題が、いったいどのくらいの難易度のものなのかわからないからです。

A君が私の悩む姿を見ることで

ああ、先生でも悩むぐらいの問題なのか!

と感じるわけです。

 

また、このとき大切なのは

難問にぶちあたったときの対処法、解法を推測することができるまでの、頭のはたらかせかた

をA君に伝え、学んでもらうことなので

私は

これは、、、なかなかないパターンだね。。たぶんこれ、けっこう難しい問題だよ。

 どうしたらいいのかな。。。ああ、そうだ。

 わりと、関数ではさ、あんまり問題から情報が与えられていない中で、座標を求めなきゃいけない場合はさ、

 求めたい座標のx座標を文字に置き換えて解くことが王道なんだよね。

 A君はあんまりそういう問題は、今まで解いたことなかったよね?

 ちょっとその方法使って解いてみるわ。だめだったら違った方法で攻めてみる。。。

なんて具合です。

(ただし、入試直前の時期などでは、効率よく多くの質問をできるだけさばきたいのでズバズバ解いちゃいますが)

AIが「知恵」や「知識」のみならず、「思慮」までも学習するようになったら話は別ですが、

 

ことさら教育に関しては、

まだまだ

「人」が「人」に関わることが必要とされ、

「人」が「人」を導く場面が必要とされている。

そんな風に思っています。

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